インタビュー

自分の成り立ち:ウィリー・カバジェロ

経験豊富なGKのウィリー・カバジェロがグローブを着用せずにゴールを守った日々や、南米のトップクラブからスカウトされたことなど、自身の成り立ちを話してくれた…

フットボールを始めたのは5歳の頃だ。サンタ・マルタと呼ばれる地元のクラブでプレーしていた。4、5チームがすぐ近くにあって、よく試合をしていたよ。

最初のシーズンはGKではなく、ミッドフィルダーやセンターバックとしてプレーしたんだ。次のシーズン、6歳か7歳のときにコーチがいくつかポジションを変更した。子どもにはどのポジションが自分に合っているか、わからないからね。コーチはその時から毎試合GKをローテーションして、いろんな選手を試し始めたんだ。

コーチが自分をGKにした試合で勝利した。他の試合では負けていたのにね。それで幸運にも、自分はGKとしてプレーするようになった。自分が7歳のときだよ。

ピッチがすごく広くて、ゴールが大きいと感じたことを覚えているよ!7v7の試合すらやっていなかったのに、6歳から11v11でプレーしたんだからね。大きな声で叫びながら近くの選手たちに指示を送ったことを覚えているけど、相手のゴールも本当に遠くにあったね!子どもはボールに触りたいと思うものだし、あの年代でのGKはフットボールを楽しむベストなポジションとはいえないかもしれないね。

適切なトレーニングをする機会には恵まれていなかった。ただ試合を戦うか、トレーニングピッチでゲームをするかだったね。自分はTVで試合を見て、プロのGKのプレーを真似していたよ。

14歳の時にボカ・ジュニアーズからスカウトされた。GKのトレーニングをしたことがなかったから、ゼロからのスタートだったよ。スカウトたちは自分がサンタ・マルタでプレーする姿や、市選抜でのプレーを見ていたんだ。市選抜として他の地域とよく試合をしていたんだよ。スカウトたちが自分をどう評価したのかはわからないけど、ボカは自分をトライアルに誘ってくれた。そこには80人のGKがいたけど、彼らが選んだのは自分だったよ。

「14歳から始めてすぐに上達したけど、16歳か17歳になるまで自分がGKとしてプレーするなんて思わなかった」

photo of ウィリー・カバジェロ ウィリー・カバジェロ

ボカ・ジュニアーズは最高のアカデミーを持っていたね。学校やトレーニング、宿泊施設も揃っていた。首都のブエノスアイレスからはかなり遠くに住んでいたけど、「カサ・アマリーラ」という黄色い家に引っ越した。ブエノスアイレスの外から来る選手は皆そこで一緒に暮らしたよ。一緒に食事、睡眠、勉強ができる環境があった。

トレーニンググラウンドには必要なものが全て揃っていた。練習着やスパイク、もちろんグローブもね!ボカに行くまでグローブをはめたことなんてなかったんだ。それまでは素手でGKをやっていたんだから。14歳で初めてグローブをつけたんだ。新しい体験だったよ!

イングランドでは違うだろうけど、自分が子どもの頃は、グローブをつけることはフィールドプレーヤーが高級なスパイクを履くようなものだった。自分の家族にとってはグローブを買うなんて大金だったし、周りの選手が新しいスパイクやグローブをつけているのは想像もできなかったね。だからこそ、グローブをつけてのプレーは大きな転換点だった。

アルゼンチンでは13歳から勝ち点やトロフィーのためにプレーするようになる。ストレスのかかるものではあるよ。トロフィーを勝ち取るためには大きなプレッシャーを受ける。メンタリティを育て、プロ選手になるための準備をするには良い環境だよ。ただ、ポジションを失いたくないから怪我を隠してプレーすることもある。

ボカ・ジュニアーズでプロデビューを果たしたのは19歳だった。驚きだったよ。シーズンは12月に終わったのに、最終節が開催できなかった。アウェイでのニューウェルス・オールドボーイズ戦だったけど、いくつかの問題があって試合が翌シーズンの前まで延期されたんだ。

ボカは監督も変わって、その試合はセカンドチームがプレーすることになった。ファーストチームは新シーズンに備える必要があったからね。第1GKは休む必要がないから、自分がプレーするのは驚きだったよ。スタジアムは満員だったよ。ボカだからね。雰囲気もファンタスティックだ。良い試合だったと思うよ。試合は2-2のドローで、2失点したけど多くのシュートをセーブした。キャリアをスタートさせるには良い記憶だよ。

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