インタビュー

自分の成り立ち:マテオ・コヴァチッチ

24歳にして代表50試合出場に到達したマテオ・コヴァチッチ。オーストリアでフットボールに出会ったこと、クロアチアのビッグクラブ加入の際には家族と大きな決断をしたことを話してくれた…

オーストリアのリンツで生まれ育った。3歳か4歳の頃に保育所の友達とフットボールを始めたんだ。当時5歳の友達が彼の母に自分が上手いと言ってくれた。それを聞いた自分の母が5歳の自分をトレーニングへ連れて行ってくれた。自分は誰よりも年下だったよ。

自分は本当に小さくて、ユニフォームがブカブカだったのを覚えているよ!でも7、8歳の選手たちとプレーすることでフットボールを早く学ぶことができた。身体の大きな選手と戦うことが多かったから、自分の身体を守る方法を覚えた。毎日成長していくのを感じたよ。

自分は本当に若かったけど、5歳か6歳にして他の選手にはないものを持っているとわかった。保育園では1人対3人でプレーしていたくらいだ。年を重ねるごとに、自分には才能があると感じてきた。でも父は努力しなければ才能など意味がないといつも話してくれたよ。だから自分は毎日ハードワークして、今の場所にいるんだ。

最初にプレーしたのは近くの小さなクラブだった。その後、今はオーストリア1部のLASKリンツに移籍した。オーストリアの中でもビッグクラブだ。当時一緒にプレーしていた選手たちと今も連絡を取っているよ。彼らは自分の人生に大きく関わっていた。

父はよく自分の試合を撮影していて、それを一緒に見ていたんだ。まだ映像を持っているし、今でもたまに見返しているよ。

10歳の時に、リンツの選手としてザグレブへ行ってディナモ・ザグレブと対戦した。ディナモ・ザグレブが自分に興味を持ってくれて、2年にわたってザグレブで試合に帯同することになった。そして、ディナモ・サグレブから家族一緒にクロアチアへ来るように勧められたんだ。自分の人生の中でも特に幸せな日々だったね。

友達と離れるのは寂しかったけど、ザグレブでもすぐに友達が見つかると思っていた。すでにザグレブに友達がいたから、自分にとっては簡単だった。家族もクロアチアに戻ることができて嬉しそうだったけど、それは簡単なことではなかっただろうね。両親はオーストリアで大きな仕事を抱えていたし、姉妹は学校に通っていた。家族全員で引っ越しするのは難しいものだったけど、それも自分たちの決断。それが最終的には最高の決断だったんだ。家族が自分のために多くを犠牲にしてくれた。だから毎日家族には感謝しているよ。

12歳でクロアチアへ行って、ディナモ・ザグレブの一員となった。多くの才能ある選手がいたよ。当時のアカデミーにいた選手の多くがビッグクラブでプレーしている。アンドレイ・クラマリッチ、アレン・ハリロヴィッチ、シメ・ヴルサリコなんかが代表的だ。クロアチアには多くタレントがいるのに、ハードワークの精神に欠けているんだ!でもディナモ・ザグレブは多くの優れた選手を輩出していて、ヨーロッパでも一番のアカデミーだと思うよ。

14歳の時に脚を骨折した。難しい時期だったね。もちろん、家族にとっても同じだ。全てを犠牲にして引っ越してきたのに、それが終わるかもしれなかった。大きな打撃だったけど、神様を信じてまた復帰できると思った。

そして自分は復帰したんだ。また成長して、16歳でファーストチームに上がったよ。そこで初めてプロ選手になった。

ディナモ・ザグレブでのファーストチームデビューは特別だったよ。随分前の話だね。その試合で自分は得点したんだ。忘れられないよ。父は自分が骨折をした時に大変な時期を過ごしていた。だからこのゴールは彼のためだ。彼は世界で最も誇れる父親だよ。

チェルシーからその他