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ランパードとかつての監督たち

スタンフォードブリッジで6人目のイングランド人監督となったフランク・ランパード

そのランパードはかつてチェルシーとイングランド代表でプレー。イングランド代表では106試合に出場し、チェルシー史上最多の代表キャップを記録。

彼が引退したのは2017年のことである。今は監督としてスタンフォードブリッジに帰還した。チェルシーとイングランド代表でプレーした経験はブルーズが成功を収めることを助けることになるだろう。

チェルシーに加え、イングランド代表でプレーし、引退後に監督に就任したのはランパードが初めてではない。チェルシー、イングランド代表の両方でプレーし監督を務めたのはランパードで3人目である。

ランパードより前にチェルシーの監督を務めたのはグレン・ホドル。

ロンドンのライバルチームであるトッテナム強い繋がりがあるホドルは、代表53試合に出場。ブルーズファンに限らず多くの人々に慕われた。

ホドルが監督を務めた1993年から1996年、チェルシーは1970年以来となるFA杯決勝に進出し、ヨーロッパカップウィナーズカップにも出場。ホドルの就任期間にはルート・フリットの移籍が実現させ、ホドルらチェルシーを去る前に重要な役割を果たした。

ジョン・ホリンズは1966年のワールド杯を制したアルフ・ラムゼイのイングランド代表に19歳の若さで名を連ねたものの、代表デビューを果たしたのはその翌年であった。そしてそのデビュー戦が彼にとって唯一の代表戦となった。しかし彼はチェルシーの選手として多くの試合に出場し、1965年のリーグ杯、197年のFA杯そして1971年のカップウィナーズカップの優勝に貢献してみせた。

彼の監督としてのキャリアは波乱万丈であった。1985年、ウェブリー・スタジアムでのマンチェスター・シティ戦を5-4で下し、フルメンバーズ杯優勝を果たした。監督として初めてのシーズン昇格を果たしたシーズン、彼はピッチ内、ピッチ外の両方でチームをまとめることができず、3年後には降格を味わった。

ケン・シリトは現役時代、クラブと代表の両方を怪我によって悩まされた。アガデミーからトップチームに昇格を果たしたシリトは1966年のワールド杯ではイングランド代表の左サイドバックを務めた。もし、彼が膝の怪我を負うことがなかったら、こんなにも早くスパイクを脱ぐことにはなっていなかっただろう。彼にとっての最後の試合はスタンフォードブリッジ。その当時彼はたったの23歳だった。

引退後、彼はチェルシーユースチームのコーチとなった。チェルシーが1977年に財政危機に陥ったため、クラブは補強の手段を制限され、シリトは自身のクラブの若手に期待を寄せた。

そのプランが良い方向に傾いた。アガデミー出身のトミー・ラングレーとクライブ・ウォーカーはチームが昇格を果たした最初のシーズン、目を見張るパフォーマンスを披露し、当時ヨーロッパ王者であったリヴァプールとの接戦を制して、FA杯優勝に貢献した。

しかし、チェルシーは長期にわたって安定した順位を確保することができないことを露呈してしまう。降格圏を脱することができなかったシーズン翌年にはクラブを離れたシリト。

イングランド代表で信頼を掴み取り、チェルシーの監督も務めたジェフ・ハーストは選手時代にチェルシーでのプレー経験はない。そのハーストはイングランド代表として、1966年ワールド杯での西ドイツ戦でハットトリックを達成し勝利に貢献。2010年に行われたドイツ戦ではランパードがクロスバーを叩いてボールがゴールラインを割ったものの、ラインズマンはノーゴールの判定。ランパードのゴールは幻のゴールとなり物議を醸した。

ハーストがチェルシーの監督に就任したのは1979年のことであった。彼にとって最初のシーズンは最終節、オールダムに3-0で勝利したものの、得失点差でディビジョン1昇格を逃した。その翌シーズンは昨年と同じくスタートダッシュに成功した。しかし、試合を積み重ねるに連れて、チームは減速。その結果、ハーストはチェルシーを去った。

1930年の現役時代には、代表戦5試合に出場し、6得点を挙げるなどしてアーセナルのレジェンドとなったドレイクがチェルシーの監督に就任したのは1952年だった。ブルーズをクラブ史上初のリーグ制覇に導いた彼の名は今もスタンフォードブリッジに刻まれている。

.熱心な気持ちを持ってクラブをどん底からすくい上げたドレイクはブルーズファンの間では‘Pensioners’というニックネームで親しまれていた。

若手選手の間での彼の信頼は厚く、秘めたる才能を見抜く千里眼を備えていた。その彼は新しいチェルシーを構築し、勝者のメンタリティーとエンターテイメントをチームに植えつけた。

彼のチームは彼自身のノウハウが色濃く反映され、‘Drake’s Ducklings’として知られていた。しかし、それ以上に重要なのはドレイクがチェルシーに初のリーグ制覇をもたらしたということだ。1955年にチェルシーを優勝に導いたからの名前は永遠にクラブ歴史に刻まれるだろう。

チェルシーで指揮を執る前に、トップディビジョンでは監督経験がなかったドレイク。唯一彼がチェルシーの指揮を執る前に監督として就任していたのは当時フットボールリーグに所属していたレディングであった。チェルシーの監督に就任する前の彼にとっての最後の試合は惜しくもチームを昇格に導くことができなかった。このことについてあなたは知っていただろうか?

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