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あの頃は若かった

シェフィールド・ユナイテッド戦で25年ぶりにプレミアリーグのクラブ最年少メンバーで臨んだチェルシー。当時の11人の今を探ってみよう。

シェフィールド戦までのプレミアリーグにおけるクラブ最年少記録は24歳と190日で、フランク・ランパードはこれを32日間上回るメンバーを送り出している。

当時の記録は1994年2月に樹立されたもので、グレン・ホドル率いるブルーズはオールドハム・アスレティックとのアウェイゲームに臨んだ。

就任初年度から若手を積極的に起用してきたホドルは、前年17位に沈んだチームの立て直しを図った。

しかしホドルの思案も功を奏さず、オールドハム戦は2-1の敗北。81分に決勝点を許している。

それでも最終的にはプレミアリーグ中位でフィニッシュ。そしてオールドハム戦のスタメン11人中9人が、そのシーズンのFA杯決勝でもスタメンでプレーしたのだった。

さらに3年後のFA杯決勝でも、うち8選手がメンバー入り。ユース上がりの2選手もスタメン出場で、ミドルズブラを2-0で下している。

1994年のオールドハム戦で最年少となったのは4名のユース出身のうちのひとり、20歳のアンディ・マイヤースだ。マイヤースは1999年までブルーズでプレーし、FA杯、リーグ杯、カップウィナーズカップ優勝をそれぞれ経験している。その後ブラッドフォードに移籍、2002年には年間最優秀選手賞も受賞している。引退後はチェルシーアカデミーにコーチとして復帰、現在は育成チームを率いている。

ユース出身そのほかのうち2名は、同じく3タイトル優勝を経験。幼い頃から互いをよく知るエディ・ニュートンとフランク・シンクレアは南ロンドン出身で誕生日もわずか10日違い。1997年FA杯でも同じピッチに立ち、ニュートンはミドルズブラ相手の追加点も記録した。

シンクレアはジャマイカ代表として1998年W杯でもプレー。チェルシー退団後はレスター、そしてバーンリーでは若きギャリー・ケイヒルともプレー。近年はチェルシーTVでコメンテーターとしても活躍している。

ニュートンは怪我に悩まされたものの、指導の道に進んでからはかつてのチームメイト、ロベルト・ディ・マッテオとともにブルーズを率いて2012年のチャンピオンズリーグ優勝を達成。今シーズンからはランパードのもとで指導を続ける。

そして当時22歳だったクレイグ・バーレイとダレン・バーナード。バーレイはチェルシーでプロキャリアをスタートさせ、ユーロ96、その2年後のW杯とスコットランド代表として出場。その頃はセルティックに所属していた。

バーナードは1990年、ノンリーグのウォキンガムから移籍。5年での出場数は33試合に留まり、その後はブリストル・シティ、バーンズリー、グリムズビーなど下部リーグを歩き渡いたものの、ウェールズ代表には選出されている。

オールドハム戦ではバーレイを含みスコットランド人が3名プレーしていた。レンジャースから加入した、ゴールキーパーのジョン・スペンサーがそのひとりだ。QPR、エヴァートンでもプレーするとアメリカへと渡り、現役経験を経て指導の道を選んだ。

そしてもうひとりのスコットランド人がスティーヴ・クラーク。当時のチームでは唯一30歳越えで最年長だった。チェルシーでは11年の選手時代を経て1998年に引退。指導のちみを歩むと、ジョゼ・モウリーニョ、アヴラム・グラントのもとでアシスタントコーチを務め、現在はスコットランド代表を率いる。

引退後、変わったキャリアを選んだ当時のチームメイトはガヴィン・ピーコックだろう。チェルシー、QPR、ニューカッスルとプレミアリーグでのプレーを経て、カナダへと移り神学を勉強、キリスト教牧師となった。

南アフリカ生まれのマーク・ステインはフットボール3兄弟のひとり。チェルシーでは57試合25ゴールを記録し、様々なクラブでプレー。現在はフィジオとしてロザラム・ユナイテッドで働く。

また外国人選手は2名、ロシアのドミトリー・ハーリンはチェルシーで146試合に出場し、現在はノンリーグのヘイメル・ハムステッドでゴールキーパーコーチを務める。ディフェンダーのイーランド・ヨンセンはノルウェイ出身。1995年にクラブの年間最優秀選手賞を受賞し、現在はノルウェイU17代表の指導に携わる。

1994年2月12日 オールドハム・アスレティック戦

5-3-2 ドミトリー・ハーリン;ダレン・バーナード、スティーヴ・クラーク、イーランド・ヨンセン、フランク・シンクレア、アンディ・マイヤース;クレイグ・バーレイ、エディ・ニュートン、ガヴィン・ピーコック;マーク・ステイン、ジョン・スペンサー

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