インタビュー

自分の成り立ち:ウィリアン

チェルシーのアタッカー、ウィリアンがブラジルからスタンフォードブリッジまでの道のりを振り返った。

若き頃に大きな決断を下したウィリアンが、チェルシーへの加入や母国ブラジルでのW杯について話してくれた…


自分にはたくさんのアイドルがいたよ。
コリンチャンスのマルセリーニョ・カリオカは有名な選手だった。コリンチャンスのファンから愛されていて、自分と同じポジションでプレーしていたんだ。ロナウドは怪物だね。ロマーリオやロナウジーニョも覚えているよ。自分にとってはロナウジーニョがナンバーワンだ。当時のブラジルにはすごい選手たちがたくさんいたよ。


自分がコリンチャンスに加入したのは9歳のときだった。
それまでは小さなフットボールスクールでプレーしていたんだけど、コリンチャンスの下部組織と試合の機会があったんだ。試合には負けたけど、自分のプレーを見ていたコリンチャンスの人が話しかけてきた。彼は父親に話がしたいと言っていたよ。一週間、コリンチャンスでトライアルを受けてほしいという話だったね。それからトライアルを受けて、合格した。そうして自分はコリンチャンスでプレーするようになったんだよ。

コリンチャンスでのデビュー戦は忘れられないけど、実際にそこでプレーしたのは10ヶ月だけ。その後シャフタール・ドネツクに移籍したんだ。ウクライナに行くのは難しい決断だった。全てが変わってしまうからね。両親や代理人とウクライナ行きを決めた。契約にサインする前、3日間ドネツクの街を歩き回って、チームのトレーニング場も見た。自分にとって良い移籍になると思ったよ。クラブは新スタジアムのプランも持っていたし、チャンピオンズリーグにも出場していたからね。父親と話をして、これは良い経験になると思ったから契約にサインしたよ。


数ヶ月の間は父と暮らして、父がブラジルに帰ってからは母が来た。1年目はそうやって過ごしていて、今の妻と出会ったのもその頃だ。たくさんのトロフィーを勝ち取ったよ。当時はUEFA杯と呼ばれていたヨーロッパリーグを制覇して、ウクライナリーグは7回、カップ戦でも何度も優勝した。何度も成功を味わったんだ。

チェルシーでプレーするのが夢だった。シャフタールにいた頃からチェルシーからは何度かオファーをもらっていた。アンジ・マハチカラで少しプレーした後にチェルシーへ来たけど、感動したよ。当時はダヴィド・ルイス、オスカー、ラミレスがいて、言葉の問題やクラブのことなんかを教えてくれた。本当に助けになったよ。シャフタールでは自分のポジションがあって、いつも試合に出ていたから、これは新たなスタートだと自分に言い聞かせたね。皆、自分のことを知っていたし、自分がどんなプレーをするかをわかっていたよ。新たなクラブ雨、新たなチームメイト、新たなファン、そして監督にはジョゼ・モウリーニョ。自分の力を証明するためにはゼロからスタートしなければいけないと感じたよ。ジョゼは自分に大きな自信を与えてくれた。


プレミアリーグで優勝するのは簡単じゃない。世界一のリーグだと思うし、2014/15シーズンに初めて優勝したときの感覚は忘れられないよ。ただ、立ち止まることはできない。フットボールではいつだって立ち止まることはない。チェルシーは常にトロフィーを狙っているんだ。

ブラジル代表でのデビューは2011年のガボン戦。母国のためにプレーできるんなんて、夢が叶った瞬間だよ。その試合では後半から出場したんだ。大きな名誉だし、最高の機会だった。

2014年には母国開催のW杯でプレーすることができた。最高の経験だったね。最後はドイツに負けてしまったけど、あの経験は忘れられないよ。敗れた試合からも学べることは多い。大会期間中のブラジルの雰囲気は信じられないものだった。トレーニング場やホテルに何千人ものファンが来ていたんだ。忘れられないよ。

チェルシーからその他