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チェルシーとボーンマス

今夜のボーンマス戦ではネイサン・アケ、アスミル・ベゴヴィッチと再会。その他に両クラブと所縁のある顔ぶれとは?

チェルシーがリーグ制覇を果たした2016/17シーズン、ベゴヴィッチはティボー・クルトワの控えとして十分すぎる活躍を披露。一方のアケはいくつもの重要なポジション穴埋めして見せた。

その功績から彼ら2人はエディ・ハウ監督政権下で躍進を続けるボーンマスへと移籍。そんなチェルシーとボーンマスには、他にも両クラブを渡り歩いた面々がいる。

まずはチェルシーではカルトヒーローであったデイヴィッド・ウェブ。気迫のプレーが持ち味で、ディフェンダーにも関わらずハットトリックを達成。キーパーとして出場した試合はクリーンシートを記録。1970年FA杯決勝リーズ・ユナイテッド戦では決勝点をマークした。彼もまた80年代序盤に選手兼監督として14ヶ月に渡ってボーンマスで指揮を取り、当時のディヴィジョン3へ昇格させている。

ナイジェル・スパックマンはチェルシーに出戻りした13選手のうちの1人である。彼が戻ってきた時チェルシーはウェブ監督のもとプレミアリーグ初年度を戦っていた。最初は、中盤でのハードワークが印象的だったナイジェル・スパックマンはジョン・バムステッドと共に闘い、1984年の昇格に貢献している。チェルシーに加入する夏まで、ジョージ・ベスト、チャーリー・ジョージが所属するボーンマスでプロキャリアをスタートさせていた。

スパックマンらと中盤を形成したギャビン・ピーコックはチェルシーに移籍を果たす前、ハリー・レドナップ監督のもと1年に渡りボーンマスでプレーをしていた。1993/94シーズンには、ホーム&アウェイでマンチェスター・ユナイテッド相手にゴールしどちらも1-0の勝利。さらに24年ぶりのFA杯決勝へとチームを導く活躍も披露。しかし決勝ではマンチェスター・ユナイテッドに4-0で敗れている。

マーク・ステインもまたその試合に出場していた。彼はプレミアリーグで7試合連続でゴールをマークし、当時の最多連続ゴール数を記録。活躍の場をチェルシーからボーンマスへ移した後の2年間もゴールを量産し続けた。現在、ボーンマスの監督に就任しているハウは選手時代、将来を期待されていた若手ディフェンダーだったが、若くして怪我に見舞われ選手としてのキャリアを終えてしまった。

ゲイリー・チヴァーズは選手としての残り少ない日々を、当時監督として初めてボーンマスに就任したトニー・ピューリスらと共に闘った。その数年前、チヴァーズは幼少期から応援に駆けつけていたスタジアム、スタンフォードブリッジでチェルシーでの初出場を飾り幼い頃からの夢を叶えた。その後、彼はブルーズで約150試合に出場。チェルシーで決めた4得点のうち、ニューカッスル戦で決めた1点は自画自賛するほど素晴らしいチームゴールであった。

マイケル・デュベリーとライアン・バートランドの2人はどちらも若手の頃、ボーンマスへローン移籍し武者修行。ローンを終えるとチェルシーへ戻り、タイトルを手にしている。デュベリーは1998年レアル・マドリッドと対戦したカップウィナーズカップを含む3つのタイトルを獲得。一方のバートランドは2012年、チャンピオンズリーグ決勝でバイエルン・ミュンヘンを破り大会初出場で優勝を経験した。

トレヴァー・アイロットは13歳でチェルシーに入団し、その後トップチームでデビュー。彼にとって最初の2試合となるブリストル・シティ戦とのちに国内とヨーロッパを制覇するノッティンガム・フォレスト戦でそれぞれゴールをマークした。偶然にも、その両ゴールは試合開始55分にマークされたものである。残念ながらその後ゴール数を伸ばせずにチェルシーでのキャリアを終え、その後4年間をボーンマスで過ごした。

最後にジョー・ショアーリンを紹介していく。彼は1997年4月アウェイでのウィンブルドン戦、試合終盤の30秒に出場。ファンの期待にも関わらず、これがチェルシーでの総試合出場時間となりチェルシー史上最短となる出場時間になった。2000年序盤、ショアーリンはボーンマスへと移籍を果たし、ホームで迎えたオールドハム・アスレティック戦で戦列なデビューゴールを決めて見せた。ディーン・コートで決めたそのゴールは彼自身にとっても素晴らしいものとなった。

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