インタビュー

「チェルシーでのプレーが夢だった。誇りに思う」

ウィリアンの特別インタビュー第1弾をお届け。チェルシーで300試合出場を達成し、思い出の2試合や自身の立ち位置について語った…

チェルシー300試合出場を達成して1週間ちょっと、ウィリアンがコブハムでのインタビューに応じた。記録達成となったチャンピオンズリーグのリール戦では、自らボレーで決勝点を決めて花を添えている。

チェルシーに加入してから6年強、これまでプレミアリーグを2回、ヨーロッパリーグにFA杯、リーグ杯も優勝、2016年にはクラブの年間最優秀選手賞も受賞。その間監督が5人入れ替わる中、デビューシーズンから42試合、49試合、49試合、41試合、55試合、56試合と出場機会を伸ばし続けてきた。

「いつだってたくさんの試合でプレーできる自信はあった」と話すウィリアン。「信じる必要があったんだ」

「簡単にたどり着ける数字じゃないよ。特にチェルシーのようなビッグクラブならね。ポジション争いも熾烈だ。常に勝負の世界だよ」

「だからこそ日々、自分の価値を証明し続けないといけない。それが出来ないなら、引退だよ。自分をアピールし続け、それにこだわってきた。ここで6年、いろんな監督、いろんなチームメイトと、毎日の練習や試合の度に自分はここにいる価値があるって頑張り続けてきたんだ」

「成長してきたと思う。試合ごとに学ぶことはあるし、試合が終わる度に『何が出来たか、何がダメだったか?』って問い続けるんだ。常に成長し続けたいからね」

「今はこうしてこの記録達成を誇りに思う。あともう300試合出場できたら最高だね!」

と、笑顔のウィリアン。さすがにその数字の達成は厳しいだろうが、先週のようなパフォーマンスが続けられれば数字はさらに伸びていくだろう。

今回の記録達成を支えてくれた存在は、という質問にロマン・アブラモヴィッチ氏をはじめコブハムで働くキッチンスタッフなどを挙げ始めたウィリアン。ファンの応援にも感謝しつつ、ジョゼ・モウリーニョについては「自分がここにきた時の監督で、信頼してプレーする機会を与えてくれた」と評した。

そんなモウリーニョ政権において、ある2試合が特に記憶に残っているようだ。

「まずはチャンピオンズリーグのPSG戦だね」と話すウィリアン。

「アウェイは3-1で落として、スタンフォードブリッジで2-0で勝ったんだ。デンバ・バが最終的に決勝点を決めて、すごい雰囲気だったね。あの試合のことは細かく覚えているよ。前半にアザールが怪我して、シュールレが入ってゴールしたんだ。それからオスカーやシュールレもポストに嫌われたんだけど、最後まで戦って結果を掴んだ。自分たちを信じて、必ず2点目が決まるって思ってたんだ」

「もうひとつはスタンフォードブリッジのエヴァートン戦。最後の最後で決勝点を決めた試合だ。あれも最高だったよ!土壇場で勝利を決めるのはまた格別の思いだね」

とはいえ何もかもが順調ではなかったウィリアン。2016年10月、脳腫瘍との闘病生活の末に母を亡くしたウィリアンは、精神的にも身体的にも落ち込んでしまった。それでも周囲の支えもあり、再びプレーに復帰するとタイトル獲得に貢献したのだった。

「あれは辛い時期だった。自分にとっても家族にとってもキツかった。亡くなったからってだけじゃなくて、闘病生活の期間もかなり辛かったよ。周りは気づいてなかっただろうけどね」

「自分のことに集中し切れなかった。ピッチに立ってもどこか上の空で、体重も落ちていった。精神的にも落ち込んでしまったけど、家族や友人が支えてくれた。このクラブの人たちもそうだ。とてもありがたいことだよ」

8月に31歳になったウィリアンは、チェルシーの海外選手で8人目となる300試合出場を達成。他の7人をウィリアンは答えられるだろうか?

「アスピ、ゾラ、エデン、ディディエ…ペトル・チェフ…」

ブラニスラヴ・イヴァノヴィッチとジョン・ミケル・オビが出てこなかったウィリアンは、ここでヒントをもらうことに。いずれにせよ、こうしたメンバーにウィリアンも顔を並べることとなった。

「誇りに思うね」と笑顔のウィリアン。

「このクラブでこの数字はすごいことだね。チェルシー でのプレーは夢だった。ずっとこのクラブでプレーしたかったんだ」

「シャフタールでオファーをもらってから、ずっとこの思いは変わらない。試合を見て、応援していた。"チェルシー"って名前も最高だよね。蒼色も好きだ。シャフタール時代にスタンフォードブリッジでプレーする機会もあった」

「引退しても、自分の名前はここに残る」と続けるウィリアン。「こうして残ることを、とにかく誇りに思うね」

明日の第2弾では、現役時代にも一緒にプレーしたフランク・ランパードのもとでの現在や、今シーズンの目標について語る…

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