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最良のライバル

イングランド代表としてW杯優勝に貢献したゴードン・バンクスが81歳で亡くなった。ブルーズのレジェンドであり、バンクスのライバル、友人であったピーター・ボネッティとともに彼の活躍を振り返っていこう。

60年代と70年代、イングランドのGKといえばゴードン・バンクスとピーター・ボネッティであった。

実際、この2人は世界中に名が知れており、ペレはかつてこう語った。「世界で3人の偉大なGKはヤシン、バンクス、ボネッティだね」

ボネッティはスタンフォードブリッジの数多くのファンに愛された。彼は信じられないほどの反応の鋭さ、しっかりとしたセーブを見せるためのアジリティが高いレベルにあり"ザ・キャット"の愛称でしたしまれ、また彼はホームでもレギュラーとして活躍。

ファンはボネッティのライバルを引き合いに出し、彼を称賛した。「自分たちの意見としては彼はヤシンよりも優れているし、バンクスよりも2倍いいんだ」

ボネッティにとっては残念なことに、イングランド代表として多くの試合でゴールを守ったのはボネッティではなく、ゴードン・バンクスだった。

バンクスはイングランド代表で確固たる地位を築き、ライバルの一歩先を行った。またしばらくは彼がイングランドのゴールマウスを守ることとなった。

しかしボネッティにとってバンクスとの直接対決で自身の価値を見出す場面もあった。1965年のリーグ杯決勝ではチェルシーとレスター・シティが対決。2試合合計でボネッティのチェルシーがトロフィーを獲得した。

「自分はバンクシーと競争していた。大きな戦いだったね」とクラブの公式マガジンのインタビューにボネッティは答えた。

「1st legではエディー・マクレディーが決勝点を決めたんだ。普段は左サイドバックだったけれど、この試合は前目のポジションでプレーしていた。そして3-2と勝利したんだ」 

「2nd legではたくさんの観客のプレッシャーを感じたね。それでもどうにか0-0で切り抜けて初めてタイトルを獲得したんだ」

このバンクスとの対戦だけでは代表でのレギュラーの座を奪うのに十分ではなかった。リーグ杯制覇の翌年にはW杯が開催。バンクス、ムーア、ハーストが後にはイングランドのレジェンドとなった。

西ドイツがイングランドに負けた4年後、再びこの両チームはメキシコ大会の準々決勝で対戦。ボネッティは親善試合とユーロ予選のわずか7試合にしか出場していなかったが、試合に出場した。

イングランドは西ドイツ相手に2-0とリード。ボネッティはクロスをしっかり防ぐなど活躍を見せた。ケネス・ウルステンホルムは「もしバンクスという存在がいなかったらそれほどボネッティが試合に出場していただろうか」とコメントを残している。

しかし1時間後にはフランツ・ベッケンバウアーにゴールを奪われるなど3ゴールを決められ逆転を許したイングランド。

1972年にはリーグ杯決勝で再びバンクスとボネッティが対戦。ウェンブリースタジアムで行われたこの1戦。ブルーズはストークと対戦した。ストークのバンクスは2-1の勝利に貢献。

ボネッティはそれでもバンクスに常に尊敬の念を抱いており、代表でもバンクスのバックアップとして彼を支え続けた。

「控えの選手には本当に申し訳ないと思っているよ。自惚れた発言に聞こえるのは自分にも分かっている」とチェルシーの専門家のリック・グランヴィルにRhapsody in Blueの中で語っている。

「何年もプレーしてきた選手を追い抜いて、また引き継いでいくのは本当に難しいことなんだ。バンクシーからレギュラーを奪った時、人々は不思議に思っただろうね」

「彼ら(チェルシーの控えの選手たち)が経験したのは分かっている。なぜならこのようなことを彼らは経験しているはずだからね」

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