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自身の言葉 - ジョルジーニョ

ブラジルの南部に位置するインビトゥバで育ったジョルジーニョは家で母親とボールを蹴り始めたことから彼のフットボール人生が幕を開けた。ジョルジーニョは生まれ持ってのタレント性を光らせ、地元のフットボールクラブでプレーし始めた。

チェルシー公式サイトのインタビューでジョルジーニョは当時若干4歳だった自分がどのようにして自身の父と地元のコーチを説得してフットボールを本格的に始めるチャンスを掴み取ったのかを話してくれた。

「自分の最初のフットボールストーリーは少し普通ではなかったよ。なぜなら、自分とフットボールしていたのが母だからだね。壁に写真を掛けておらず、テレビもないただフットボールをするためだけの部屋でよく遊んでいたんだ!部屋には何も置いてないから壊す物なんてないよ!でも、外の庭やベンチでも遊んでいたよ」 

「インビトゥバは人口5万人の小さな町だが、とても美しい場所だ。自分の家には近所の子供達がよく遊びに来ていたよ。学校が終わると自分の家の周りでフットボールをしていた」 

「町にはかくれんぼや駆けっこ、2対2で対戦するブラジル独自のルールのクリケットで遊んでいた広場があったね。ビー玉とコマでも遊んでいたよ。その通りは夕方になると子供たちで溢れていた。それが自分の幼少期だね」 

「それから自分が4歳になると友達みんなが地元のフットボールクラブに誘ってくれたんだ。ピクセ(魚という意味)がニックネームのコーチがいたね。正式なチーム名はないけどみんなピクセのフットボールスクール、ピクセのチームって呼んでいた。でもチームに加入できるのは6歳からだったんだ」

 「自分の友人たちはよく『いけ、いけ、いけ!』って言っていたよ。だから父に話をしてみたんだ。『フットボールスクールに通いたいんだ。ピクセのチームのためにプレーしたい!』ってね」 

「父には『ダメだ。若すぎる。やっていけない。スクールに通うまであと2年待ちなさい』と言われただけだった」 

「それから毎日父が家に着くとそのことを話していたよ。』父さん、行きたい!フットボールスクールに通いたい!行きたい、行きたい!』ってね」 

「最初は『ダメだ。やっていけない』と言われるだけだったんだ。でも、自分が言い続けるとある日『父さんができることを検討してみるよ』と父は言ったんだ」

「それから父はコーチに話に行ってくれたんだけど、ピクセには『ごめんなさい。あなたの息子さんは加入できません。若すぎます。2年後にまたいらして下さい。2歳も年上の子たちとプレーすると怪我を負いかねません』と言われてしまったよ」

 「父はピクセに『理解できないことは分かりますが、息子をここに来させるべきです。自分にこれ以上のことはできません。家での肩身が狭くなってしまいます。お願いです。息子をここでプレーさせてみて下さい』 って言ってくれた」

「そうするとピクセは『分かりました。でも毎回2つ目のトレーニングに参加してもらいます。もしも息子さんに何か起きたとしても、責任を取りません』って言っていた」 

「大丈夫です。息子の件については自分が責任を負います。でも息子をここでプレーさせてあげて下さい。彼がプレーするまで自分は家での居場所がありません!」

「それから自分は初めてそこに行ったんだ。父と一緒にね。すぐに2個上の男の子たちとプレーしたよ。とても上手くプレーできたね」 

「ピクセと父は驚いていたよ。父はピクセに『大丈夫です。息子はこの一回で満足しています。本当にありがとうございます。もう息子を連れて来なくていいんですよね?』とコーチに言うと」

「コーチは『ダメです!彼を連れて来て下さい。息子さんは自分が責任を持って見させてもらいます』と言っていたんだ」

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