インタビュー

ペトル・チェフとチェルシー - PART 4

チェフの特別インタビューも今回が最終章。今回はレギュラー落ちの経験、チェルシー退団について話してくれた。

2012年にチャンピオンズリーグを制してから、その後2年間チェフはチェルシーのレギュラーとして活躍。ヨーロッパリーグをも制覇し、クラブのクリーンシート記録も更新した。チェルシーでは合計228本のシュートを受けたがゴールを許さなかったのは出場した試合の内46%と驚異的な数字を残した。

2011年には年間最優秀選手賞を受賞し、他にも数々の個人賞を獲得してきた。2005年、2010年、2014年にはプレミアリーグのゴールデングローブを獲得し、2005年、2007年、2008年にはUEFAの最優秀GK賞も獲得。チェコにおける年間最優秀フットボーラーに7度輝き、レディング戦の怪我から回復した年にはチェルシーから特別賞も与えられた。

チェフが成し遂げてきた数々の功績は素晴らしいもので、本人もとても喜んでいるようだ。

「皆が自分のやってきたことを讃えてくれている時、自分を認識してくれた時、本当に助けになるんだ。モチベーション、満足感を与えてくれるし、再び目覚ましてくれる。そしてより頑張っていこうと感じるんだ」

「自分の1番の功績は世界でのベストチームでプレーしたことだ。最高のリーグで最高のチームに所属した。10シーズンはスタメンから落ちることはなかった。一番大変なことだったよ。シーズン毎に誰よりも優れていることを証明しないといけなかったし、監督全員にそれを認めてもらう必要がある」

「チェルシーを離れるという決断が最も困難な決断だった。旅の終わりだったね」

photo of ペトル・チェフ ペトル・チェフ

最終的にはチェルシーのレギュラーを奪われたチェフ。3シーズン、アトレティコ・マドリッドで活躍したティボー・クルトワがチェルシーに帰還。これがチェフのチェルシーでの生活の終わりの始まりであった。

「当時嬉しくはなかったね」と話したチェフ。「プレシーズンではハードに戦った。ポジション入りに死角はなかったよ」

「それでもフットボールのチームでは毎週試合に出れるGKは1人だ。ポテンシャルと質を兼ね備えたティボーがこのクラブの未来となったんだ。自分が試合には出れないことになったが、このチョイスには納得したよ」

「チェルシー退団が自分にとっては一番困難な決断だった」と続けたチェフ。「このクラブで長い間プレーしてきたし、このクラブの歴史でも大きく関わることができた。常にチェルシーでキャリアを終えるか、数年だけ他のクラブでプレーしようと考えていたんだ」

「その時になり、数年離れることになるとは思っていなかったね。自分の思い描いていたものではなかった。それでも自分の旅が終わりを迎えたのが明らかになったし、退団して他のことを試そうと思ったんだ」

チェフは4度目のリーグタイトルを獲得した後、2015年の夏にアーセナルに加入。ライバルクラブに加入するのはハードだったと振り返ったチェフだったが、チェフのチェルシーでの貢献度を理解していたサポーターたちは家族を混乱させないためのチェフのこの決断を理解した。

4年間をエミレーツで過ごたチェフはチェルシーと決勝の舞台で2度顔合わせ。成績は1勝1敗であった。そして20年のキャリアに幕を下ろした。

その内15年間はプレミアリーグで過ごし、引退を決断。

「リーグはより競争的だった」と話したチェフ。「2004年に来た時、おそらく上位12チームは強かった。他の8チーム次第だったんだ。そのチームにとってはレベルの高い選手を連れてくるのは困難だっただろうね」

「2007年、2008年にはそれが変わった。プレミアリーグの支配が始まったんだ。全てのチームに世界レベルの選手が加入したんだ。昇格組にもね。リーグはより注目されるようになった。チームがますます強くなり、大会を制覇するのは毎年困難になっていった。これは今でも続いているよ。これがプレミアリーグを最高のリーグにしたんだ」

身体能力とハードワークを組み合わせ、チェフは全てをフットボールに捧げてきた。集中力は切れることなく、準備は常に怠らない。怪我から這い上がり、2012年にはチャンピオンズリーグを制覇し、GK最強の地位を獲得したのだ。

「振り返ると、とても幸せだったね。確かに望まない部分にはあったが、重要な役割を果たすことができた」

「最高の旅だったね。楽しかったよ。もしチャンスがあるならもう一度経験したいね」

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