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パット・ネヴィン:選手を守ることもそうだが、公平さも同じように大事なことだ

FAカップ決勝戦での審判やピッチ上での選手の行動は、ウェンブリーでの試合を観た元チェルシーのパット・ネヴィンを驚かせるものではなかった。ネヴィンは、この週刊コラムで次のように自分の見解を述べている...。

lFAカップ決勝戦でアーセナルに負けたことにショックを受けた世界中のチェルシーファンは数知れない。私はケファロニアのホテルで観戦したが、ケンシントンから韓国まで、多くのチェルシーファンにとって苦い経験となっただろう。長年のライバルに負けるだけでも十分辛いが、更に彼らがベストコンディションからほど遠く、チェルシーも前後半の序盤を除き精彩を欠いていたこと、そして普段は殆ど口にすることはないが、今回の主審の采配は目に余るものだった。


もちろん、それは負け惜しみのように聞こえるが、そんなことは全くない。チェルシーが優勝すべきだったと言えるわけではないし、そこまで自分の視野が狭いわけではない。だが、最低でも退場者を出さずに戦うことはできただろう。ファウルを受けたマテオ・コヴァチッチが2枚目のイエローカードを受けたことは、許し難いことだった。VAR は警告に関する審査をしない規定であることは知っている(それ自体がこのルールの欠陥だとは思うが)が、どのような試合でも、2枚目のイエローは、試合の流れを大きく左右するような反則のみに与えられるべきである。主審はコヴァチッチがファウルを犯したと想定し、タックルを受けた相手の悲鳴に影響を受けたのは間違いない。このような光景は重要なタイトルがかかった試合ではあるまじきことである。

正直に言うと、アーセナルの選手が倒れるたびに致命傷を負ったかのように振舞い、すぐ後に何もなかったかのように試合に戻ってくる様子に騙されることがなかったら、あのような判定は下さなかっただろう。実際、見事なダイビングに笛を吹かなかったことで、アーセナルの選手にオスカー級の演技を許すことになったのだ。

彼らすべてではなく、個々のプレーヤーについての話しだ。そしてこれはアーセナルだけが得意としているものではない。しかし、選手によっては、厳しい審判とそうでない審判を理解していることがある。ダイブや怪我のふり、そして誰にチャージを受けることなくピッチに倒れて悶絶する演技を見せる選手に関しては、無観客のスタジアムではより明らかなものとなった。血を流しているときの様な叫び声に対して、すぐに試合を止めてヘリコプターで救助しなくてはならないと先走るが、リプレーを見ると、目と耳を裏切るかのように、ほとんど、もしくはまったく接触していないことがある。

これが現代のサッカーだと多くの人は言い、私が現役時代に出場した850試合でダイブをしたことがないと言うと、驚いた表情を見せる。当時のサッカーは今よりも断然タフなものだったのにも関わらずだ。私は他の選手同様、足がもげるまで立ち続けようとしていた!現代の選手にも様々なタイプがいる。フランク・ランパードがダイブしたことを見たことがあるか?私は見たことがないし、彼は得点することしか考えていなかった。だが、他のトリッキーな選手はどうか?ジャンフランコ・ゾラからリオネル・メッシまで、相手選手にチャージを受けたからといって泣き喚くことのない選手はいくらでもいる。「今のサッカーはこういうものさ」などという議論には到底納得できないし、不正行為は不正行為でしかないのだ。

昔のように暴行に近いタックルを擁護しているわけではない。ウィリアンやプリシッチ、そしてオーバメヤンやラカゼットも守られるべきだが、同時に公平性も必要であり、解決するのは難しい問題ではないと思う。

審判がそのような行為に対してイエローカードを出せば、選手はそれをやめるだろう。プロサッカー選手協会の元会長である私が、このように選手たちを批判するのは異様に聞こえるかもしれないが、彼らが公正さを尊重しないことにより、他の選手たちのチャンスを摘み取っているならば、このような呼びかけは正当化されるべきであろう。

幸い試合が過去のものになれば苦しみも減るし、もし叫びたいのならそれもいいだろう。しかし、VARを活用することと即時にリプレーを見ることが解決法となる。ダイブをし、特に転がりながら叫ぶ選手は即刻退場処分とするべきだ。試合中に気づかなかった場合でも、暴力行為と同様に自動的に出場停止処分とすれば、ダイブはすぐにサッカーからなくなるだろう。

ウェンブリーでは負傷退場したアスピ、ペドロ、プリシッチ以上に喚いた選手がいた。その3人が重傷を負ったにも拘わらずだ。もちろん、これは嫌味に聞こえるかもしれないが、チェルシーは勝利に値するプレーを見せなかった。もしコヴァチッチが残っていたとしても、おそらくゴールを奪い返すことはなかっただろう。ただ、私はこのような愚行が繰り返されることを受け入れることができないのである。少なくとも、それを根絶するため努力しなくてはならない時が来たのだ。

 

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