コラムニスト

ジャイルズ・スミス:ミュンヘンで奇跡は起きるか?

ウェンブリーでのFAカップ決勝は、ジャイルズ・スミスのようなチェルシーファンには期待を裏切る結果となった。では、決勝に行かない方が良かったのか?彼はその問いを熟考し、選手たちが、今シーズン国内での最後の試合となった試合を、万全を期して臨んだかについて疑問を抱く。

FAカップ決勝でアーセナルに負けるには、最低でも度重なる審判の醜悪な判定、そして怪我で倒れる選手たちの叫びが必要だった。ああいった試合こそ自宅で見るべきものであったのだろう。

とはいえ、すべての面で平凡な試合であった。試合前も試合内容も、試合後についてもすべてが凡庸だったのである。「先に家に帰る」というウェンブリー決勝の敗者に与えられた特権さえも失ってしまったのだ。

素早い足取りで、虚しく無意味な表彰式が行われたころには既にメアリルボーンに着いていただろうし、アーセナルのファンがウェンブリー中央駅に着くころには、バラムのマクドナルドでハンバーガーを平らげていただろう。それが気休めになったかというとそういう訳ではないが、少しの気晴らしにはなっただろう。

2002年のカーディフ中央駅に到着する電車に乗っていたことは今でも覚えている。「ひどい試合だったけど、日曜の昼ご飯までには家に帰れるな。」いつ何時でも何らかの慰めは見つかるものだ。

審判の判定についてとやかく言うつもりはない。今更言ったところでどうなるわけでもないし、それが正しいこととは思わない。主審を務めることは非常に難しい。審判がそう思わせるのもあるが、実際に難しいことだ。そのことを考えさせられたのが今回のFAカップ決勝だ。不規則なシーズンとなった今シーズン、史上初めて決勝で2回笛を吹くことになった。天邪鬼に聞こえるかもしれないが、彼には3度目のチャンスを与えてほしい。彼がしっかりと主審を務める姿を見たいのだ。誰にでも2度目のチャンスがある。それを逃したら3度目をあげればいい。

アレクシス・サンチェスのハンドを見逃したのはあの審判ではなかったか?アーロン・ラムジーのオフサイドで線審の旗を無視したのは?そして今回グラニト・ジャカへのファールで2枚目のイエローカードを受けたマテオ・コヴァチッチ。英国の審判は一貫性がないとよく言われるが、これは知らないことだった。私には一貫性しか見えなかったのだ。
 

アーセナルのGKがペナルティーエリアの外でボールに触れたか、テレビで観ている私たちはどうやって気づくことができただろう?放送局は何の問題もないと判断し、リプレーを流すことはなかった。ストックリーパークのお偉いさんたちがそう決めたのだろうか?彼らのやりかたはよくわかっている。家で見ている限り、まるであの出来事が全く起きなかったようだった。控えめに言っても、VAR時代にあのような光景を見ることは懐かしい気分だった。物議をかもすプレーがテレビで十分議論されなかったと感じたのはいつ以来のことだろう?そう考えると、私たちは感謝しなければならないのかもしれない。

レフェリーのことは置いておくとして、私は「より良いプレーを見せていれば審判の判定に影響を受けることはなかっただろう」と語ったランパードの試合後のコメントに好意を抱いた。CLミュンヘン戦に目を向けていた選手が多すぎたのだろうか?彼らはもっと大きな機会のために、力を温存していたのだろうか?その可能性はあると思う。そして、誰もいないウェンブリースタジアムでは、集中力を失い、ゲームをコントロールできなかった、という言い訳はいくらでもできただろう。私もそう考えていた。

チャンピオンズ リーグの歴史に残る大逆転劇を果たすチャンスがあり、クラブサッカー最高峰のトロフィーを再度持ち上げる可能性があるとき、軽視されるFAカップのアーセナル戦に完全に集中することができないのも仕方がないことだろう。

いずれにせよ、今更色々言っても意味がない。色んな観点から議論することは可能だが、このパンデミックの時代に一つ発見したのは、サッカーにとってファンの存在は大したことではないということだ。このフェーズが長引けば長引くほど、多くのトロフィーは誰もいないグランドで中途半端に授与され、更に空席というキャンバスを背景に、EA Sportsが用意した歓声を使って試合が行われることになる。

ウルブスに勝利して4位になった試合をスタジアムで観戦したかった。FAカップ決勝でアーセナルに敗れる様子をウェンブリーで観たかった。そうしていれば、勝利も敗北も何らかの価値があっただろう。フランク・ランパードがチェルシー監督初シーズンでチャンピオンズリーグを制覇したとしても、そこにいることができなければ私はどう反応するかわからない。これは、「残念だった」という言葉で済まされる問題ではないのだろう。
 

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