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「ストライカーだったんだ!」- アンドレアス・クリステンセン、デンマーク時代と父の影響を語る

国を代表して初めてユーロに出場する日、アンドレアス・クリステンセンは、どのようにしてサッカーを愛するようになったのかを、彼自身の言葉で語ってくれた。

実は、自分の生活の中でサッカーがなかった時期をあまり覚えていない。4歳のときに始めたけど、父が地元でサッカーチームを立ち上げた。それが幼少期の最初の記憶として残っている。お遊びみたいなものだね。

父はデンマークでプロのゴールキーパーだった。実は、ピーター・シュマイケルがマンチェスター・ユナイテッドに移ったとき、ブレンビーは私の父を迎え入れたんだ。シュマイケルぼ後釜としてね。

父は、私が生まれたときに現役を引退した。私が生まれてすぐに辞めたようで、それは家族と一緒にいたかったからだと思う。だから、私は彼のプレーを見ることはなかったけれど、話を聞いたり、写真や、現役の時のユニフォームがいっぱいあってそれらを通して選手時代を知ったんだ。

いつも一緒に遊んでくれた。緑豊かな場所に住んでいて、かなりのスペースがあったので、ちょっとした柵を用意して、時には少し高くセットしてゴールを作ったんだ。そうすると、父がゴールに入り、私がシュートするという具合に、お互いに好きなサッカーをして過ごしていた。

私の故郷はアレレードという町で、何をするにも近くて便利だった。コペンハーゲンから20分くらいのところにあり、反対側にはヒレロドという少し大きめの町がある。2つの町の真ん中にあって、ビーチもあるんだ。海岸に行って、水の中でボールを投げて、宙に浮かせてなんて。

でも、ずっとサッカーが好きだった。デンマークではブレンビーがお気に入りのチームで、父がプレーしていたこともあり、小さい頃は何度も試合を見に行った。その後、年齢を重ねるごとに、トレーニングの後友人と待ち合わせてスタジアムに行き、試合を観戦するようになった。特に私の住む地域では、ブレンビーは最も大きなクラブだった。だから、10歳のときに「うちに来てテストを受けないか?」と言われたときは興奮した。当時の自分にとっては大事件さ。

最初はストライカーとして、ドリブルを多用し、あらゆる技を駆使してゴールを決めていた。その後、中盤になったが、ここではボールを持つことが多く、技術的にも優れた選手でなければいけなかった。だから、ディフェンダーになっても、中盤までボールを運んでいけるんだ。

その後、父はブレンビーのU14やU15で再び私をコーチすることになった。他にも何人かコーチがいたけれど、特に記憶に残っているのは2人、ニルス・ニールセンとジョン・ラヌム。この2人は私のプレー大きな影響を与えてくれた。最初のコーチは、ミッドフィルダーだった私をセンターバックにコンバートし、このポジションで活躍できると言ってくれたんだ、それはとても意味のあることで、それがなければ今の私はなかっただろう。

そしてラヌムは、私個人にとって素晴らしいコーチングの方法を持っていた。この2人、そして父には、本当に感謝している。

そしてラヌムは、私個人にとって素晴らしいコーチングの方法を持っていた。この2人、そして父には、本当に感謝している。

しかし、その頃の私は、全てが順風満帆な訳ではなかった。父がコーチを始めた次の年には、成績が振るわず、2軍に放り込まれそうになったこともある。U15だったかな。1年くらいは調子が悪くて、「本当にこのままでいいのかな?」と思っていた。

うまくいかないときには、「こんなことをしても意味があるのだろうか」と思うこともあった。

でも、素晴らしい試合をして、突然再スタートを切ると、すべてが一瞬で変わったりする。

それはチェルシーに入る2年半ほど前のことだったけど、当時はそこまで考えていなかった。ただ、サッカーをしなければと躍起になっていたね。

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