ペトル・チェフのアイスホッケーチーム入りのニュースに驚いた人は多いかもしれないが、実は別のスポーツでも才能を発揮したチェルシーの選手は少なくない。

昨シーズン、フットボールから引退を表明したチェフ。その後チェルシーでテクニカル&パフォーマンスアドバイザーに就任したが、この度アイスホッケーチームのギルドフォード・フェニックスへの加入が発表された。

今回はチェフのように、フットボール以外でもその才能を認められた選手を振り返ってみよう。

マックス・ウーズナム

スポーツの才能、という面においてウーズナムのキャリアはイギリス史上でも指折りのものだろう。チェルシーでのキャリアは1914年のわずか3試合で終わったが、そのいずれも勝利で、クリーンシートも1つを記録。その後ケンブリッジ大学で学位を取得すると、第一次世界大戦を挟んで再びフットボール界に戻り、マンチェスター・シティ、イングランド代表としてもプレー。しかしテニスではさらに成功を収め、1923年のウィンブルドンでシングルスで準々決勝にも進出。ダブルスでは優勝、オリンピックでは金メダルも獲得した。またデビス杯ではイギリスチームの主将も務めている。しかもこれに加え、スヌーカーでは147点のマキシマム・ブレイクも達成、学生時代のクリケットの試合では144得点、さらに卓球好きなチャーリー・チャップリンを相手にバターナイフで試合をしたにもかかわらず、負かしたことでバカにされたと激昂されてもいる逸話の持ち主だ。

ベンジャミン・ハワード・ベイカー

チェルシーにおけるベイカーといえば、公式戦でのゴールをあげた唯一のゴールキーパーとして有名だ。しかしながら、彼自身を有名にしたのには他にも理由がある。こちらもウィンブルドンに出場するほどのテニスの名手で、さらに陸上でもその才能を発揮しているのだ。中でも高飛びでは四半世紀にわたり国内記録を保持し、1912年と1920年のオリンピックでは代表選手としても活躍。なお現在世界選手権と欧州選手権で金メダルを保持しているスプリンターのアダム・ジェミリも、ファーストチーム昇格こそなかったものの過去にチェルシーアカデミーの在籍経験がある。

ロイ・ウェガリー

フットボーラーに人気のゴルフだが、引退後に本格的に始める選手も少なくない。その多くはチャリティなどのプロアマ問わない枠にとどまるものだが、ウェガリーはプロとしてヨーロッパツアーにまで参戦。南アフリカ生まれでアメリカ国籍を持つウェガリーは、ダンヒル・チャンピオンシップやオープン・チャンピオンシップに2002年、2003年と参加するも上位100位入りはならず。他にも、引退後にゴルフの道を選んだ選手といえばアンドリュー・シェフチェンコが有名だ。政権進出も果たしたがいずれも短命に終わり、結局はウクライナ代表監督としてフットボール界に復帰。ネイションズリーグにユーロ予選とグループ首位に導く手腕ぶりを発揮している。

クライヴ・アレン

チェフのキャリアに近いのが、元ブルーズのストライカーであるアレンだ。しかしながら数奇な結果となったのが、スタンフォードブリッジで記録した得点数がフットボールを引退してからの方が多いという点。フットボールから引退した2年後、アレンはロンドン・モナークスのプレースキッカーとして1997年のアメリカンフットボールワールドリーグに登場。この年、ホームゲームの多くがスタンフォードブリッジで開催され、アレンはここでもストライカーとして存在感を発揮。最終的には25得点の記録でキャリアを終えている。

ロン・ティンダル

チェルシーが関わる部分として、フットボールとの親和性が高いスポーツはイングランド国技のクリケットだろう。例えばフランク・ランパードやロン・ハリスといったレジェンドたちも、学生時代はクリケットに興じていた。実際に高いレベルでプレーする選手もいたが、1955年のリーグ優勝メンバーの中でも若かったティンダルは群を抜いている。実はフットボールと並行してクリケットをプレーしていたティンダルは、交渉の末、フットボールシーズンの最初と最後の1ヶ月をチームから離脱し、クリケットのサリーに参加することをクラブに認めさせている。60年代頭にチェルシーを去ると、クリケットに本格参加。合計5,446ランに150ウィケットを記録。しかしながらフットボーラーとしてのキャリアも続き、1966年にクリケットを引退した3年後に、フットボーラーを引退している。