セネガル人の両親のもと、フランスの様々な地域で育ったカリドゥ・クリバリは、4カ国でサッカー選手としてのキャリアを積む前に、幼いころから多くの異なる文化に触れてきた。そしてその多様性が、現在の自分を作り、選手として大きな役割を果たしたと語っている。
フランス北東部のサンディーでセネガル人の両親のもとに生まれたDFは、メッスでプロとしてのキャリアをスタートし、ベルギーのヘンク、イタリア・ナポリでプレーし、そして現在はイングランドのチェルシーに所属している。
しかし、ブルースのチームメイトであるエドゥアール・メンディやエンゴロ・カンテなど、アフリカ出身の同年代の多くのフランス出身選手と同様、彼がサッカーに夢中になったのは、身近な出来事からだった。7歳だったクリバリは、1998年のワールドカップでフランスが優勝するのを目の当たりにしたのだ。
当時は、様々な民族や文化的背景を持つ選手で構成されたチームが、母国で最高の栄冠を手にしたことで、フランスが一つになった瞬間と言われていたが、クリバリはその時の主要選手のうち2人を彼のサッカー人生のアイドルとして挙げている。
「マルセル・デサイーとリリアン・テュラム」と、チェルシーの公式マッチデープログラムで、若い頃誰に影響を受けたかと聞かれたとき、彼は答えた。「自分はフランス人だったし、今でもそうだ。フランスで生まれたので、彼らを手本にして育ったし、それがとても役に立った。」
「アフリカに起源を持つフランス人として、彼らをビッグスター、アイドルのように見ていた。今でもリリアン・トゥラムと話し、たくさんのアドバイス、手助けをしてもらっている。」
フランスでそのような子供時代を過ごしたにもかかわらず、チェルシーのセンターバックはアフリカの出自を忘れることはなかった。それは、両親の故郷であるセネガル代表として、自身の国際的なキャリアを歩むことを決めたことからもわかる。
「大きな、大きな選択だった。フランス代表でプレーすることもできたけれど、23歳か24歳のときに、セネガル代表でプレーすることを決めたんだ、彼らが自分のことを待っていたからね。」
「監督と話をして、セネガル代表としてプレーするにあたって十分なモチベーションを与えてくれたんだ。家族とも話をした。一番大事だったのは、両親の反応だった。彼らは好きなように選びなさいと言ってくれたけど、セネガル代表でプレーしたいと伝えたとき、2人の目が輝いているのを見て、いい選択をしたと思ったんだ。」
「セネガル代表に合流して他の選手たちに会ったら、まるで家族のようだった。家で食べているものと同じ食事が出てきたし、同じ言語を話していたから、自分にとっては家にいるような感覚だった。もっと早く来るべきだった。みんな兄弟みたいだ、と思ったよ。」
「行動力もあって良い雰囲気で、それがあれば、良い空気が生まれる。これは本当に助けになったよ。困難な時、何かを達成するためには、それが必要なんだ。」
しかし、フランスとセネガルの二重国籍というコンセプトは、サンディにある多文化的なアパートで、さまざまな背景を持つ友人たちと一緒に育ったクリバリにとって珍しいものではない。
実際、彼はこの幼少期の経験が、他の人々や文化を理解する上で、今日までピッチの内外で彼に役立ってきた精神的適応力を与えたとさえ考えている。
「フランスでは、このような家を『HLM』(habitation à loyer modéré、適度な家賃の住宅)と呼んでいるんだ」と彼は説明する。「質素な家庭の人はみんなそこに住んでいる。」
「自分の友達もみんなそこに住んでいて、なんというか、落ち着いた暮らしだった。みんな仲良しだった。セネガル人も多かったし、トルコ人、アラビア人、フランス人ともよく遊んでいた。みんな一緒で、このミックスが好きなんだ。」
「この雰囲気の中で育ったから、いろんな事を早く理解できたし、普段の生活でも、ピッチの上でも、自分にとって良かったと思う。」
そのオープンマインドなアプローチと異文化を受け入れる情熱は、31歳の彼がチェルシーで西ロンドンの新しい環境に順応していく中で、ここ数ヶ月、間違いなく役に立っていることだろう。