1990年代序盤、短い期間ながらもチェルシーで活躍したポウル・エリオット。1991年にブルーズへ加入したエリオットは守備の要としてチームを牽引した。

1992年9月、エリオットはリヴァプールのディーン・サンダースから危険なタックルを受け、膝に怪我を負うことに。長期間をリハビリに費やしたものの、ピッチへ復帰することはできず、2年後に現役を引退した。現在はFA包括諮問機関のチェアマンを務めている。

黒人歴史月間の10月に入ったことを受け、チェルシー公式Webサイトはエリオットにスタンフォードブリッジでの日々を振り返ってもらった。エリオットはクラブで初めて黒人選手としてキャプテンを務めたプレイヤーだ…

チェルシーに加入したきっかけは?「チェルシーからオファーを受けたことはあったけど、その時はサインしなかったんだ。ちょうど自分がイタリアを出る時で、チェルシーは本気で自分を欲しがっているようだった。でも自分はセルティックに行ったんだよ」

「(チェルシーの当時チェアマン)ケン・ベイツとの関係はすごくよかったね。人々が自分に対してどのように振る舞うかが大切だし、ケンはとても良くしてくれたんだ。ケンは自分のプレーを見るために、セルティックまで何度も足を運んでくれたんだ」

「自分がカップ戦の決勝に出場した時も、ケンは観戦に来てくれた。試合後にはプライベートでケンと会って、ヴィクトリアと言うナイトクラブに行ったよ。彼は自分を見て『ドリンクを買ってもらえるか?』と聞いてきた。だから彼に好みを聞いたら、シャンパンのボトルが欲しいと言われたんだ。夏にチェルシーへ来て欲しいという意味だとわかったよ。自分が『ケン、自分はチェルシーに行くかわからないよ』と言うと、彼は『チェルシーに来たくないのか?』と聞いてきた。だから、自分はチェルシーに行きたいと伝えたんだ」

「結局、自分をチェルシーに連れてきたのはケンだった。そのシーズンにスコットランド年間最優秀選手賞を受け取った自分は、ロンドンに向かうことになったんだよ。最初にオファーを受けてから何年も経ったけど、最終的にチェルシーへ行くことなった。最高の移籍だったと思うよ」

「当時のチェルシーは転換期にあって、 1部に昇格してから間もなかった。スタジアムも今のようなものではなかったけど、移籍してよかったよ。もっと長い間プレーしたかったね。短い時間で大きなインパクトを残せたと思う」

「チェルシーで初めて黒人選手としてキャプテンになったと知ったのは随分後の話だ。フットボールにおける人種差別に対しての大きなチャレンジだったね。本当に誇りに思うよ。自分はチャールトンの熱狂的なファンなんだ。でも、チェルシーが70年代に着ていた白いストライプのユニフォームはよく覚えているよ。良いデザインだったね」

クラブの第一印象は?「可能性に溢れていると感じたね。新スタジアム建設のプランもあったし、ケンはクラブの青写真を鮮明に描いていて、2003年にロマン・アブラモヴィッチが買収するまでに目標を達成していたんだ。彼がクラブを売却した日、一緒にランチをしたのを覚えているよ。クラブには可能性があり、歴史があり、誰でも知っている名前だった。長年にわたって野心に溢れ、可能性に溢れたチームだった」

スタンフォードブリッジの印象はどうだった?「最初に見た時はファストフード店みたいな見た目だったけど、その後には高級デパートのようになったね。当時はクラブも過渡期で、これからどうなるかなんて想像もつかなかった。ケンが完成イメージの絵や建築図を見せてくれた時のことをよく覚えているよ。新たなスタジアムでプレーしたいと思った。それは叶わなかったけど、今もスタジアムに行けばその雰囲気を感じ取ることができるんだ」

チェルシーでの現役時代、ファンからの声援はどうだった?「自分が最初のホームゲーム2試合で2ゴールを決めたから、ファンはすぐに自分を受け入れてくれたよ。相手はウィンブルドンとノッツ・カウンティだったね。当時、セルティックは現在のように国際的なチームではなかった。でもチェルシーは歴史的に、世界中から選手が訪れていた。ロンドンだけではなく、世界中にファンがいたんだよ」

チェルシーの監督からはどんな影響を受けた?「イアン・ポーターフィールドは素晴らしい人間だったが、亡くなってしまったのは残念だ。彼は自分のことをリーダーとして認めてくれたし、彼自身も素晴らしかった。グレン・ホドルはクラブを新たなレベルへと引き上げてくれたね。彼には3つの目があって、試合を読むことができたんだ」

「ホドルはスウィンドンからチェルシーへ来て、スウィーパーとして守備の支柱になった。長い距離のパスや足の速さ、ポジショニングのセンスが飛び抜けていたんだ。フットボールに関する戦術面、テクニカル面の知識は誰にも引けを取らなかったね」

「自分がイタリアでプレーしていたときに規律を学んだ。グレンは規律やプロフェッショナリズムといった概念をチェルシーへ持ち込んだんだ。彼はチェルシーの施設やトレーニンググラウンドを改装しようとしていたし、常に先を見据えている監督なんだ」

一番仲の良かったチームメイトはだれ?今も連絡を取っている?「最近FAでデニス・ワイズに会ったよ。現役時代よりもやせたみたいだね!トニー・カスカリーノにはたまに会っているんだ。アンディ・タウンゼンドはあまり見ていないけど、フランク・シンクレアは会っているよ。エディ・ニュートンは今もクラブで働いているね。アンディ・マイヤーズも同様で、そういった選手がクラブに残っているのは嬉しいよ。若い選手にとって、彼らは重要なロールモデルになるはずだ」

「ジェイソン・カンディは自分がチェルシーにいた時の若手選手だった。自分は若い選手の助けになろうとしていたし、彼らは新たな知識や良い振る舞いといったものを積極的に身につけようとしていたよ」対戦するのが嫌だったチームや選手はあった?

「イングランドでは特にないよ。イタリアのピサでデビューした時の相手はACミランで、フリットやファン・バステン、ライカールト、アンチェロッティ、バレージ、マルディーニがいたんだ。しかも次の試合はマラドーナがいたナポリだよ。だからイングランドではどんな相手にも不安はなかったね!」

相手のファンや、スタジアムについてはどう?

「イタリアでは人種差別を受けることがあったから、そういったことには慣れていた。チェルシーに来る頃には、自分も成熟した選手だった。セルティック時代にレンジャーズとアウェイで戦ったこともあったし、そういった雰囲気は何度も経験していたよ。戦う準備はできていた」

チェルシーでの現役時代を振り返って、後悔していることはある?

「もっと長い間プレーしたかったね。30歳で引退しなければならなかった。自分はフィットネスの高いプレイヤーで、35歳までプレーできると思っていたよ。イタリアでは規律のもとに、食事や睡眠、私生活にも気を遣っていた。あと5年プレーできたと思うけど、それまでに15年間も現役生活をしていたからね」

「チャールトンで現役生活を始めて、ルートンでディヴィッド・プリートの指導を受け、それからアストンヴィラ、ピサ、セルティック、チェルシーという経歴は珍しいよね。当時はセンターバックというポジションの選手はあまり移籍をしないものだった。1つのクラブで8年、9年とプレーをするのが当たり前だったけど、自分は2年ごとに移籍して3つの国でプレーしたんだからね。チェルシーは自分にとって最後のクラブだと感じていたよ」

「自分がチェルシーでプレーしてから25年以上が経つけど、チェルシーのサポーターから受けるものは素晴らしいものだよ。人々がクラブに貢献した選手のことを覚えていてくれて、そういった選手にリスペクトをしてくれるのは嬉しいね」