プロサッカー選手になるまでの道のりは人それぞれであり、マテオ・コヴァチッチも例外ではない。克服しなければならなかった逆境や、偉大な友人となるサッカー界の象徴との出会いなど、これまでのキャリアについて彼自身が話してくれた。

サッカーを始めた頃は、とても陽気で遊び好きだった。幼い頃から、サッカーをすることだけが目標だった。4〜5歳の頃、母親に連れられて初めて練習に参加したんだけど、そのときみんなに『まだ幼いからやめたほうがいい』と言われた。だけど、結局は粘り勝ちでやらせてもらえたんだ。」

「本当に幼かったんだけど、5、6歳のときに自分が足が速くて周りにはないものを持っていることに気づいた。幼稚園ではいつも1対3で遊んでいて、けっこう上手かったんだよ。何年か時が過ぎ、自分に才能があると気づいたんだけど、父親はいつも才能は磨かなければ意味がないと言っていた。だから、今の自分があるのは、毎日一生懸命働いてきたからなんだ。」

「本当に幼かったんだけど、5、6歳のときに自分が足が速くて周りにはないものを持っていることに気づいた。幼稚園ではいつも1対3で遊んでいて、けっこう上手かったんだよ。何年か時が過ぎ、自分に才能があると気づいたんだけど、父親はいつも才能は磨かなければ意味がないと言っていた。だから、今の自分があるのは、毎日一生懸命働いてきたからなんだ。」

「2、3歳年上の男の子と一緒にプレーしたこともあった。すべてはサッカーと、最大の支えである家族のために動いていたのです。LASKからディナモ・ザグレブに移籍したときのことをよく覚えている。まだ12歳と若かった。ディナモでプレーするようになり、サッカーのおかげで多くの友人を作ることができたよ。」

「サッカーでも人生でも、良い時と悪い時の両方があるのは普通のことで、14歳のとき足を骨折したんだけど、そのせいで家族はとても苦しんだ。父は仕事を辞め、家族で住み慣れたオーストリアからクロアチアに引っ越したんだ。」

「それはリスクでもあったけど、父は自分がディナモで偉大なことを成し遂げられると信じていたし、最終的に彼は正しかった。父は家族全員と同じように、常に最大の支えだった。彼らは自分のために多くの犠牲を払ってくれた。どうにか彼らに恩返しをしようと、ベストを尽くし、彼らの良き息子となり、常に家族と素晴らしい関係を保とうと努めたよ。そして、重要な局面では家族同士のつながりがさらに深まるんだ。だから、そういった酷い時期もたくさんいい事があった。」

「そのひとつが、ルカ・モドリッチとの出会いだ。10歳くらいからルカの試合を見ていて、その頃からサッカーをよく理解するようになった。彼とは2回会う機会があったんだ。1回目は9歳か10歳のとき、2回目は14歳くらいのときで、トッテナム・ホットスパーが彼と契約したときだった。」

「その時に、いつか彼とチームメイトになるから一緒に写真を撮ったらいいんじゃないかと言われて、それが実現したんだ。本当に良い仲で、これからもずっとそうでありたい。彼のような素晴らしい人物に出会えてよかった。彼がどんな選手であるかということだけでなく、人間としても素晴らしく、とても落ち着いていて、彼のことが本当に好きなんだ。いつも実直で、決して驕ることなく、若い選手たちにとってのお手本であり、彼のキャリアは自分たちの手本となるべきものだ。」

「足を骨折した後本当に強くなって、16歳のときにトップチームに入った。ディナモ・ザグレブでのトップデビューは、本当に特別なものだったよ。もうずいぶん前のことだけどね...。デビュー戦で得点したんだ。忘れられない一日になったよ。ケガをしていたとき、父はとても苦しんでいた。だから、このゴールは父のためだった。今、世界で一番誇らしい父だと思ってる。」

「ずっとサッカーが好きで、サッカーをするのが大好きだった。自分を信じていた。チャンスを与えてくれたディナモに感謝したい。戦術的にも精神的にもそのレベルに達していなかったから、16歳の少年に対応するのは簡単ではなかったと思う。彼らは自分の悪い面を許し、もっと良くなるようにと背中を押してくれた。自分としては、できることはすべてやったけど、ディナモは自分のことを信じてくれたし、自分にとっても彼らにとっても、最終的にはそれが報われたんだ。」