チェルシーフットボールクラブはピーター・ボネッティに哀悼の意を表します。
元チェルシーのGKであるボネッティは長期に渡り病気を患っていた。チェルシーはご遺族、ご友人に対しお悔やみ申し上げる。
ボネッティは60年代、70年代にスーパースターとして活躍。GKとしては小柄であったが、オーラを纏いテクニックに長けており勇気のある飛び出しを何度も披露していた。”ザ・キャット”の愛称で知られるボネッティはチェルシー黄金時代でゴールマウスを守り続けたのだ。
最後の砦であったボネッティは1970年のFA杯決勝の再試合で躍動。イギリスのTVではおよそ2800万人がこの試合を視聴したという。
それ以降ボネッティは欠かすことの出来ない選手としてトミー・ドハーティ監督の下でプレーしたが、デイヴ・セックストンはさらにボネッティの能力を磨いた。多くの選手、ファンたちはユースの出身の選手だと誇らしく語ったのだった。
18歳でチェルシーデビューを飾ると、偉大なGKとしてふさわしいように後ろを振り返らなかった。
袖をたくし上げチェルシーのGKとして20年に渡り活躍したボネッティ。ボネッティが記録したクリーンシート数、獲得したトロフィー数はここ数年で記録が更新されたものの、チェルシー史上で2番目の出場数を誇り、地元出身のGKとして成功した記録が今もなお残っている。
ニックネームである”ザ・キャット”はロン・ティンダルによって付けられたが、ボネッティの冷静さ、情熱的なプレーを的確に表しており、チェルシーでも世界中でも知られるところとなった。
1969/70シーズンには1年を通して安定した活躍を見せて、年間最優秀選手賞の投票で2位に輝いた。1967年にはチェルシー初めての年間最優秀選手賞を受賞しており、その2年後にはファンもクラブな偉大な選手として彼に投票した。
プロのキャリアではチェルシーで729試合に出場。ロン・ハリスのみがこれを上回っている。ピーターは2014年の1月までクリーンシートの記録を保持。この記録をペトル・チェフが抜いたが、この2人はお互いにリスペクトしていた。
ピーター・ボネッティはチェルシーの難攻不落のGKとして活躍。型を破り、あらゆる可能性に抗い、息を飲むプレーを披露し、全ての人から称賛を受けた。
ピーター・ボネッティのチェルシーでのキャリア
デビュー: マンチェスター・シティ (H)、旧1部、1960年4月2日
最後の試合: アーセナル (H)、旧1部、1979年5月14日
出場数: 729試合(クラブ歴代2位)
クリーンシート数: 208回(クラブ歴代2位)
クラブでの記録: リーグ杯 1965年、FA杯 1970年、カップウィナーズカップ 1971年
個人での記録: 1967年、チェルシー年間最優秀選手賞受賞