ウクライナ代表監督として今夜Euro2020の準々決勝でイングランドと対戦するアンドリー・シェフチェンコ。この試合を前に元ブルーズについて7つの事実を紹介しよう。

チェルノブイリ原発事故

ソビエト連邦のウクライナで育ったシェフチェンコは、9歳のとき、チェルノブイリ原子力発電所事故の影響でキエフからの避難を余儀なくされた。彼の家は事故現場から200キロほど離れていたが、多くの子どもたちと同様、放射能への不安からその地域から離れた場所に移され、その後、キエフに戻ることになった。

ラッシュのスパイク

ディナモ・キエフのユースチームに所属していたシェフチェンコは、13歳のとき、ウェールズのアベリストウィスで開催されたイアン・ラッシュ・カップで得点王になり、大会最優秀選手賞を受賞した。賞品は、リヴァプールのレジェンドから贈られたブーツだった。シェフチェンコは後に「あのブーツは何年も大切に持っていた」と語っている。

「ウクライナでは誰もがイアン・ラッシュのことを知っていたので、とても意味のあることだった。そのスパイクは自分には小さすぎたけど、それでも何とか履こうとしたよ。こんなに素敵なスパイクは買えないから、開いた穴を隠そうともしたよ」。

シェバvsジルー

2005年、ACミランでフェネルバフチェとのアウェー戦に出場したシェフチェンコは、チャンピオンズリーグでアウェー4ゴールを決めた初めての選手となった。そして最近、同じ偉業を達成したのが、昨年12月、セビーリャで4ゴールを決めたオリヴィエ・ジルーだ。

ブルーズでの記録

2006年夏にチェルシーに入団したシェフチェンコの移籍金は、1年前に入団したマイケル・エッシェンを上回りクラブ記録更新となった。2011年にフェルナンド・トーレスが加入するまで、シェフチェンコはそのクラブ記録を保持し続けた。

ブルーズ最後の試合

シェフチェンコがチェルシーで最後にプレーしたのは、ダブルを達成した2009/10シーズンの序盤だった。サンダーランドとの3-1の試合に後半サブとして出場したのが、ACミラン時代のボス、カルロ・アンチェロッティの下でプレーした唯一の試合となった。その後、シェバはディナモ・キエフに戻った。

W杯準々決勝進出

シェフチェンコは選手時代、ウクライナのキャプテンとして、独立国として初の主要大会となった2006年ワールドカップに出場し、見事準々決勝に進出し、最終的に優勝することになるイタリアに敗れた。今夏のユーロでは、初めて準々決勝に進出し、母国でも高い評価を得ている。

シェフチェンコと政治

2012年に引退したシェフチェンコは、すぐに政党「ウクライナ-前進!」に参加した。2012年10月に行われたウクライナ議会選挙では、党員名簿で2位になったが、全国的に「前進!」は議会での代表権を獲得できず、シェフチェンコの短い政治キャリアは幕を閉じた。