1921年にフットボールリーグに加入したレディングだが、チェルシーとの対戦試合数はそれほど多くない。しかし選手や監督に関しては多くの繋がりがあるといえるだろう。

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レディングとの試合を前に、チェルシーとレディングの両クラブで選手や監督として活躍した面々を振り返ろう。

ケリー・ディクソン

レディングから加入した一番の選手といえばディクソンだろう。レディング時代の1982/1983シーズンには26ゴールを記録し、当時のディヴィジョン3得点王に輝いた。一方でチームは降格を喫している。

ブルーズへの加入後もゴールを量産したディクソン。1983/84シーズンにはディヴィジョン2で28ゴールを決めて得点王となり、チェルシーのリーグ制覇に貢献。翌シーズンには24ゴールを記録し、ギャリー・リネカーとともにリーグ得点王に輝いた。

9シーズンにわたりスタンフォードブリッジで活躍したレジェンド、ディクソン。チェルシーで420試合に出場し、193ゴールを挙げた。クラブ通算193ゴールはディクソンがチェルシーを退団した1992年時点でボビー・タンブリングに次いで2番目に多い数字だ。

スティーヴ・フランシス

1980年代中盤にはGKのフランシスがチェルシーからレディングへ。1981年に17歳でチェルシーデビューを果たしたフランシスは、1986年のフルメンバーズ杯マンチェスター・ユナイテッド戦で負傷したエディ・ナイドツヴィエッキに代わり出場。見事チームを同大会制覇へと導いた。

フランシスはブルーズで88試合に出場し、1987年にレディングへ。レディングでは1986/87シーズンのクラブ年間最優秀選手賞を獲得。さらに1988年にはフルメンバーズ杯制覇に貢献するなど、250試合に出場した。その後1993年にハダーズフィールドへと活躍の場を移している。

スティーヴ・シドウェル

アーセナルのアカデミーで育ったシドウェルはPFA年間ベストイレブンに2度選出され、2006年にはレディングをクラブ初となる1部昇格へ導いた。翌年には昇格組ながらプレミアリーグ8位フィニッシュを記録している。

4年半にわたって在籍したレディングで187試合に出場したシドウェルは2007年にチェルシーへ。しかしチェルシーではレギュラーに定着できず、25試合の出場にとどまった。翌夏にアストンヴィラへと移籍している。

ジョン・スウィフト

チェルシーアカデミー育ちのスウィフトは2012年のFAユース杯制覇、U21プレミアリーグ制覇に貢献。2013/14シーズン最終節カーディフ戦でファーストチームデビューを飾ると、チームは2-1で勝利。この試合がスウィフトにとってチェルシーで唯一の出場となった。

その後いくつかのローンを経て、2016年にレディングへ加入したスウィフトは3シーズンで100試合以上に出場した。

ローン組

チェルシーからレディングへローン加入した選手も数多い。

ナサニエル・チャロバーとネイサン・アケは2014/15シーズンにレディングへローン加入。翌シーズンにはブラジル出身ウィンガーのルーカス・ピアソンが、そして昨シーズンにはルイス・ベイカーとマット・ミアズガがレディングへローン加入していた。ミアズガは今シーズンもレディングでプレーすることに。

一方、ジャマイカ出身ディフェンダーのマイケル・ヘクターは2015年にレディングからチェルシーへ加入。レディングで1シーズンを過ごすと、その後はフランクフルト、ハル、シェフィールド・ウェンズデイでローンを経験している。

監督

レディングを率いた監督の中にはチェルシーと関係を持つ人物も。テッド・ドレイクは1947年から1952年にかけてレディングを指揮。その後チェルシーの監督に就任すると、1954/55シーズンにはチェルシーをクラブ史上初のリーグ制覇へと導いた。

当時のキャプテンはロイ・ベントレイ。選手引退後は1963年から69年にかけてレディングの監督を務めると、その後はクラブの秘書となった。

イアン・ポーターフィールドはボビー・キャンベル監督のアシスタントコーチを担当し、1988/89シーズンにはブルーズの2部優勝に貢献。1989年11月にレディングの監督に就任すると、1991年にはスタンフォードブリッジへ監督として帰還した。

チェルシーでコーチを務めた経験のあるブレンダン・ロジャース(2009年)とポウル・クレメント(2018年)はその後レディングで監督としてチームを指揮した。チェルシーでディフェンダーとして活躍し、その後アシスタントコーチとなったスティーブ・クラークは2014年から2015年にかけてレディングを指揮し、チームをFA杯準決勝進出へ導いている。